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katekyo的な「台所」料理教室

数年前、私はある著名な先生の料理教室に参加しました。雑誌の執筆やテレビ出演もされている多忙な方で、私はその場で強烈な刺激と感銘を受けたのを覚えています。

「『脱脂大豆』という栄養分の抜けたものを使い、後で色をつけている醤油がある」と聞いて、「安いものには必ず訳がある」ということを知りました。それから、しょうゆ、塩、卵だけは選んで購入するようになりました。

 

家庭教師になって数年が過ぎた頃に受け持った生徒のことを思い出しました。その生徒は中学時代に部活動の先輩とのトラブルのために不登校になっていました。その後、私といっしょに勉強をして、見事高校に合格。好成績を修めて卒業もしたのですが、20代の頃に母親を病気で亡くしてしまいました。

目標を失い意気消沈している姿を見て、いっしょにできる活動はないかと、日々生徒を励ましていると、生徒がこう言ったのです。

「先生と料理がしたい」

「よし、じゃぁ、スーパーでとんカツを買ってくればいい」

「それじゃぁ、意味がない。最初から(カツ丼を)つくるんだよ。そうじゃなきゃダメでしょ?」

「そっか…… やっぱ、手づくりだよね?」

 

「手づくり」と言えば、昔よく母の料理の手伝いをしたものでした。幼稚園の頃から1人でインスタントラーメンをつくっていましたから、料理が好きだったのかもしれません。

よく台所で料理をしていると、父がやってきて、「男がそんなところで何をしている」と叱られました。古き昭和人で、いわゆる「頑固おやじ」です。それでも、家庭科で習った野菜サラダをつくったときは、黙って食べてくれました。「うまい」とも何とも言いませんが、その後も何度かつくったところを見ると、まんざらではなかったのかもしれません。

就職して数か月たったある日のこと、実家に帰る日に学生時代の友人と夜遅くまで飲食をし帰宅すると、父が起きていて、「母ちゃんがお前の好きなものをつくって待ってたんだよ。連絡ぐらいよこせよ」と言われました。台所の鍋には、私が小さいころから好きだった「酢豚」がつくっておいてあり、料理に込められた親の思いに気づかされました。

 

さぁ、いよいよ「台所」料理教室の当日がやってきました。生徒といっしょに台所に立ち、エプロン姿でお互いに協力してつくりました。昔、母の手伝いでとんカツを揚げたこともあったので、その工程はおよそ頭に入っています(感謝‼)。

できたのは1人前がカツ2枚半分の超特盛メニュー。普通のどんぶりには入り切らないので、ラーメン用の大きいものを使用。ただ、あまりにもボリューム満点過ぎて、昼に食べたにもかかわらず、夕飯は全く不要でした。後日談ではありますが、生徒も同様に「夕飯抜き」になっちゃったらしいですね(笑)。これが好評を博し、その後、餃子(もちろん餡から手づくり)、坦々麺(焼きそば用の麺を使用)、海鮮サラダなどもつくりましたよ。

 

蛇足ですが、この一食のために2週間うまくいっていた私のダイエットが水泡に帰したことも付け加えておかねばならないでしょう。やはり、惜しむらくは「仕事大好き人間」の悲しき性とでもいうべきなのでしょうか。

 

中学時代の家庭科の調理実習の際に、私がお玉で鍋に入ったスープをかき混ぜていると、年配の先生がやってきて、「あら、あなた、上手な混ぜ方するのねぇ」とほめられ、うれしかった思い出があります。このように、教師の一言というのは、何年たっても子どもの心の中に残り、あたかも「結晶」のように、その後の人生を彩るものなのです。

 

 

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